昭和・平成・令和 徒然なるままに

徒然なるままに様々なことを思いつきで語りたいと思います。特にプロ野球の現在過去未来、ジャイアンツの戦略イメージについて語ったり、プロ野球選手や皆様の生活にちょっとしたよい変化を与えられるよう情報を提供し活動していきたいと思います。ふと心に浮かんだ取るに足らない話題ばかりで大変恐縮ですがお付き合いのほどお願いいたします。。

親切・意地悪とリーダーシップ

 皆さんの周りには、親切な方が多いでしょうか?あるいは意地悪な人が多いでしょうか?意地悪な人が多いと感じる人は、結構つらい毎日を送っていらっしゃると思いますし、親切な人が多いと思っていらっしゃる人は気持ちのよい毎日を送っていらっしゃるでしょうね。

 ドラマの半沢直樹は終わってしまいましたが、半沢直樹は信念を曲げず、正しいことをしていくリーダーシップあふれる人格の持ち主なので、周りの人たちもキャラは違えど人格が優れている人が集まってきて、周りの人たちを助ける親切な人ばかりですね。ところが、偉くても人格が優れず、自分と自分の取り巻きのことしか考えていない人たちはそれ以外の人には意地悪と言ってよいでしょう。意地悪な人はある意味自分のことだけと言ってもよいかもしれません。自分の取り巻きも用済みと考えれば、すぐ切り捨てたり、これまでの貢献についてもチャラにしてしまうような人たちだと思いますので、心からその人のために働きたいと思う人はいないでしょう。そうするとその時々で利害が一致する人しか集まってこないので、人と人とのつながり、人間らしい関係を求める人は集まってこないということになります。成功していて上昇期はよいが、ちょっとでも失敗して下降期になると見切りをつけられてしまうことになります。私が言いたいのは、リーダー層が親切なリーダーシップを常にとっているのと、意地悪なリーダーシップをとっているのでは大きな違いが起きるということです。部下が親切か、意地悪かにも大きく関わってくると思います。確かに最近はレジリエンス、逆境に耐えうる力というのが、人生を渡っていくうえで大変重要と言われてきていますが、これも部下の場合はリーダー層の態度次第でしょう。意地悪をされ続けて、レジリエンスで我慢し続けるということはあり得ないでしょう。もちろん半沢直樹さんのように意地悪されても仕事をしっかりこなせ、環境を変えられる能力は大事な要素ですが、どうやっても意地悪をされ続け環境の変化も起こらなければ精神的にも肉体的にも疲弊していく一方でしょう。私はそれぞれのグループを率いていくにはこの親切なリーダーシップが最も大事な要素だと思いますし、そうするとそのグループの業績に明らかに直結していくと思います。

 私も最近やはりその親切な複数のリーダーシップに常々救われていると改めて実感する出来事がありました。プロ野球の監督は勝負が目に見えてわかるのでその力量は一般の人にもわかりやすいわけですし、会社にいれば会社の業績にも直結すると思うので業績が悪ければ、この親切なリーダーシップがないと感じられている部下の方も多いのではないでしょうか?今後AIが部下になる場合はどうなのでしょうか?意地悪や親切の概念はないのでしょうか?それとも親切にされれば、AIもぐっと働くようになるのでしょうか?

 もちろん自助で精神的にも肉体的にもゆとりをもてるように常に心がけることは必要だと思います。自分自身が親切か考えてみると、やはりその日のことをこなすのにせいいっぱい疲労困憊のときには電車の席に座っても周りを見通せる力がなく、ご老人に席を譲ることができていないのではないかと思います。仕事のときも一緒ですね。

菅総理は「自助・共助・公助。まず自分でできることは自分でやる、自分でできなくなったらまずは家族とかあるいは地域で支えてもらう、そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行っていきたいと思います」と言われましたが、批判があるように全く逆だと思います。総理が強く正しい親切なリーダーシップで率いていかないと、自分自身常に心がけてはいても、レジリエンスや自助などはとても無理で、国民は皆日々自分の生活を送ることでせいいっぱいになってしまうでしょう。この国の舵取りをいかによくするかで、たくさんの人たちの自助ができるようになるのだということを(考えていらっしゃるのかもしれませんが)ぜひお考えになっていただきたいなと私は思います。