昭和・平成・令和 徒然なるままに

徒然なるままに様々なことを思いつきで語りたいと思います。特にプロ野球の現在過去未来、ジャイアンツの戦略イメージについて語ったり、プロ野球選手や皆様の生活にちょっとしたよい変化を与えられるよう情報を提供し活動していきたいと思います。ふと心に浮かんだ取るに足らない話題ばかりで大変恐縮ですがお付き合いのほどお願いいたします。。

外面(そとづら)と内面(うちづら)

 秋らしく過ごしやすい陽気となってきましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

私はそれなりにちょこまかとは動いているような気がします。大したことはできず失敗ばかりしているなあと後悔ばかりですが、4連休はそれなりに楽しみました。

 さて外面が良い人がいますよね。しかし内面をみている人は、結構被害にあったりしてつらい思いをしているようです。職場や学校ではよいが家では横柄、自分の所属する組織では横柄だが出張先や交渉先、甘えが効かない場所ではうまく振る舞う、上司にはうまく振る舞うが部下には横柄に振る舞う、自分の出世などに関わる利害関係者にはうまく振る舞うが、関係ないと考える人には横柄に振る舞う、デパートなどの売り場でもセールス担当者は、買ってくれそうな身なりがよく高そうなアクセサリーをしていたり、恰幅のよいそれなりの年齢の人には近寄っていくが、貧乏そうだったり、見た目が貧弱な人、若くてお金を持っていそうにない人には愛想がなく、別人のような対応をするなど外面と内面の使い分けをしている人は結構いると思います。

 子どもは乳児期には家でも保育園でも同じように甘えている感じなのが、幼小児期には家では甘えているが、幼稚園や学校では人見知りもあり、適度な緊張感も出てきて集団でもうまく振る舞えるようになりますよね。人間成長していけば、家でも学校でも、会社でも同様に振る舞えるようになるわけです。もちろん家ではどんな人でも多少の甘えは残るでしょうが(多少とは言えませんが、自分も甘えはしっかりあると思います。)、大人になってもうまく成長していない人では、外面と内面の明らかな違いとなっていくのだと思います。上にあげたような人以外でも、取引先として接していた人が、同じ会社の一員になったら印象がかなり変わる場合はあるのではないでしょうか。クラブ活動などでも、勧誘されているときと、入部した後の先輩の印象が180度変わることもあるのではないでしょうか。

 ではなぜこのような違いが出てくるのでしょうか?一つは自分がかわいくて仕方がないと感じてしまうので、できるだけ自分が優れていることのアピールもしたいのでしょう。また本当の意味では自信がないので、自分自身が優れているということを取り繕いたいのだと思います。またそういう人にとっては、やはりうまく振る舞うことにかなりのがまんや緊張感を強いられているので、それ以外のところでは反動が出てしまうのでしょう。外面と内面の違いが過剰な人は自己愛性パーソナリティ障害ということになるのだと思います。存在自体優れていると感じられるような人は普通に振る舞っていれば、皆から優れていると感じられるものです。アマデウスという映画で、サリエリモーツァルトに嫉妬して(下品ということも多少あったかもしれませんが)最後は毒殺してしまったように(実際のサリエリがこのような人でなかったかもしれないので、こんなことで有名になってしまったサリエリは可哀そうだなと思いますが)、自己愛の強い人がそばにいる場合は、本当に優れている人、被害に会う人は辛いなと思います。

 このように外面と内面が違う人の周りには必ず被害に会う人が多くいるので、内面を見ている人たちからは尊敬されませんし、一流の人とは思われません。また、このような外面を見抜けずそのような人に接近するような人は、やはり外面ばかりを気にしたり、自分なりの審美眼を持てない、自分の内面を磨けない”寄らば大樹の陰”と考える人が多いのだろうなと思います。ただ内面と外面の変わらない人が出世したり、世の中で成功するかというとまた別問題だと思います。それでも私はやはり自然体で魅力ある裏表のない人のもとで働きたいなと常々思いますし、そのような人がいつも身近にいてほしいなと切に思います。